□江戸時代のどこでもドア
安井碕(現在の鎧碕)の坂を下ると木々の間からタケノコのような姿の白い岩が見えてきた。海岸まで降りてみると高さ五丈(15m)を越える岩だ。根元には岩穴があり内部は広い。
この岩屋を覗いた真澄と案内人。すると薄暗がりに“荒熊とおぼしき腹白きけだものと遭遇し
これは凶暴な熊に違いないと肝を潰して逃げ出した“と書いている。
実際に中に入り覗いたが荒熊はおらず、週間移動もできなかったが、運の良い人はもしかしたらと期待して覗いてみてはいかがだろう。
この岩穴には伝説が残っている。
昔ある漁師がカレイを持ち海岸を歩いていると、突然現れた犬がカレイを奪い取ったため追いかけると洞窟に逃げ込んだ。怒った漁師は入口に石を積み塞いだ。その後、漁師が浪岡に行くと見覚えのある犬が遊んでいた。村人の話では、どこから来たか分からないが、その犬はカレイをくわえて村外れの穴から出てきたと言う。以来この村は『王余魚沢村』と呼ぶことになった。
江戸時代の「どこでもドア」伝説である。
昔は五丈余りあったと真澄が書いているが、鉄道工事の材料や小湊築港の埋め立てで天辺から爆破し石材を採取したため、現在は残念ながらその高さや原型を見ることはできない。
もしそのまま残っていれば夏泊半島の景勝地として人気を博していただろう。
□アネコ坂の狐
真澄は板橋から中野を抜け、屋敷山の古道を歩いたのだろうか。ここは調査不足で確かなことは判らない。
茂浦から山路に入りアネコ坂を越える。古狐が住んでいるさびしいところで、夜中にここを通る村人があれば狐がアネコ(娘)に化けて、行灯を付けて、針仕事をしている姿を見せたという。
針仕事をする化け狐は、どうやら驚かしたりいたずらをする様子もない。全国の狐伝承でも聞いたことのない変化系パターンである。
女優のような化け狐でも出没するなら、ぜひ出会いたいものだ。
□恋愛占いをしてみよう
板橋の里を通り土屋の浦に抜ける途中に「鍵掛け峠」がある。
――ほぉ、こぃは出羽地方でよぐ見だ占いじゃなぁ
真澄も「かんかけ(鍵懸もしくは神掛)」を見ており、出羽を歩いたことを思い出しながら歩みを進めた。
恋愛占い「かんかけ」は、木の枝に二股の枝を投げかけて、我が想い人の気持ちは自分にあるかと占う。うまく枝が掛かれば願いごとが叶うらしい。
恋愛占いは現在も様々な占いがあり、若者も一喜一憂している。そんな純な男女が、昔からいたのである。
鍵懸は現在も地名が残る。ここは小湊と並ぶ白鳥飛来地の白根碕がある。
□神石「オコリ石」
『ホタテ広場』がある土屋地区の海岸に、高さ2.5mほどの突出した自然石があるらしい。らしいと書くのは筆者の目で石を確認できなかったからだ。
地元では「オコリ石」と言い、村人がオコリ病(*1)にかかったときは、この石の頭にワラのはち巻きをしてやると、きっと治してくれると信じられていた。
津軽エリアでは「百万遍」と刻まれた石塔がたくさん見られる。
この「百万遍」とは、百万回「南無阿弥陀仏」と唱え、先祖供養や願いをする百万遍念仏を由来とするが、鎌倉時代の元弘元年(1331年)、都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇が知恩寺に対して疫病鎮めの命を下した。その命を受けた善阿空円7日間の百万遍念仏を行い疫病を鎮めた。この功績から知恩寺は百萬遍という名前を授かったという。それ以降、全国各地に百万遍念仏が疫病封じに効くとの評判が伝播。地方では念仏を唱えながら大きな数珠を皆で回す行事となり、現在青森県内でも行っているところがある。またいつか塞ノ神と同様の扱いで、災いが入ってこないよう集落外れに百万遍の石塔が置かれるようになった。
「オコリ石」は、それとは違うが平安時代からの歴史的な流行病を、簡単にはね除ける霊験あらたかな石である。
しかもその霊験は病鎮めだけではない。沖に難破船があると、石の頂に灯火が現われて船の目標になり、よく危難を救ったとされる万能の神石なのだ。
様々なウイルスに晒され、災害や事故などの災いが多発している今こそ、必要な「神石」であり遥拝したい石である。