そろそろ邪馬台国探しをやめて日高見国に力を注ぐ時期ではないかと考える。
大先生方がいつまでも他国の文献に振り回され、終わりの無い論争を繰り返していても先は見えない。
卑弥呼の正体すら定かでなく、邪馬台国が機内か九州か書物の解釈で、それぞれを支持する識者の論争は永遠に続きそうだ。
専門家なのに私と同じロマン派では、日本の成り立ちは解明できないのではと思う。
もう奈良や大阪などの天皇陵の発掘調査を進めるしか新たな物証は出てこないだろう。
明治からの国民教育で、邪馬台国だけが脚光を浴びるが、記・紀には「日高見国と言う国が東方にある」と記載されている。
そもそも記・紀は時の権力者が編纂させたモノであると普通に考えれば良い。
矛盾があれば、それは恣意的な改変であることを証明なのだ。
判っているだけでも藤原摂家が行った歴史改変は無茶苦茶である。
だが藤原家は全くの偽りの歴史を創作しなったのは日本人らしい。全く無かったことにせず真実を書いているからだ。
だから記・紀の神話は、「実際にあったできごと」と考えて良いだろう。
ゆえに読み替えが効く正しい正史と捉えれば良い。
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イザナギ・イザナミの国産み神話では「大八州国(古事記では大八島国)」は、通説で淡路島・四国・隠岐の島・九州・壱岐・対馬・佐渡で最後が本州であったとされる。
見たとおり「西の勢力」が認知できている、勢力圏エリアであると判るだろう。
つまり自分たちの国は、今の新潟県や長野県、愛知県より西にあることを示唆しているのだ。
ほぼフォッサマグナで分断された世界であったのである。
記・紀は西日本の豪族勢力の話である。そのように断定すれば、日本建国が判りやすくなる。
簡単な話、当時はまだ現在の統一日本では無かったのである。
とは言うものの、それより東を知らなかったわけではない。むしろ憧れの「日出る国」が東方にあるとしていた。
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「大八州国(おおやしまのくに)」は「国」と記述があるように、1つの統一した意思がある勢力でかつ、記・紀で外せない「国」だったのだ。
私はその国こそ「葦原の中つ国」であり、「高天原」であったのではないかと推理する。
また大八州国は「州」を当てている。単純に1つの国(しゅう)と見るのではなく、「州」を「す」と読めば、中州(すか)であり葦の湿地帯となる。現在の横須賀や明日香、あるいは宿毛(すくも)等は湿地帯であったのである。
ヤマトで近いところを考えるなら、当然「明日香村」である。
だが、それでは国産みで大風呂敷を拡げた意味が無い。
ならば「どこにあった国なのか?」
そしてさらに、「葦原の中つ国」はどこを指しているのか?
「葦原の中つ国」は大河川が造り出した8つの中州と考えてはどうだろう。
そこで国内の大河川がどこにあるか?
現在、日本三大河川と呼ばれるのは信濃川、利根川、石狩川だが、昔は群馬から千葉に流下する坂東太郎(利根川)、九州の筑紫平野を流下する筑紫二郎(筑紫川)、四国の高知から徳島に至る四国三郎(吉野川)が三大暴れ川として有名だった。
暴れ川であれば、その川幅も広く、川の流れも変わる。そうすれば大きな中州が出現するだろう。
その中州は間違いなく葦原となる。
筑紫川エリアが「葦原の中つ国」であれば、高天原伝説と近いし邪馬台国九州説の補完ができる。
吉野川下流の徳島県であれば、ヤマトに近い。しかも徳島から香川当たりで邪馬台国四国説もあるのだ。
徳川家康が秀吉により後の江戸に移封されたとき、今の東京はほぼ葦原の湿地地帯であった。
関東平野である東京、埼玉、千葉、そして霞ヶ浦周辺は大葦原地帯であり「葦原の中つ国」としても不思議ではない。
さあ、皆さんも妄想を膨らませてみよう。
謎解きは明日の話だぁ~!