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水の文化をコンテンツにする

「豊葦原千五百秋水穂国」(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに) 詠われた日本。
水と共生したことの証として、水神様や田の神様、蛇に河童、龍伝説など全国に存在しており、水は農耕や暮らしで欠かすことができないものであった。
だが最近の「みずほ」は瑞々しい稲穂でなく、いもち病で全滅しかけたドロドロな状況であり、名称を変えて欲しいくらいだ。
川の流れと豊富な伏流水は、藍染めや和紙など“ザ・ジャパニーズ”を始め、酒造りや染め物、和紙、味噌、醤油づくりとその周縁のなりわいを創発していった。
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残念ながら現在は、河川や水路がコンクリート化され、海と共生してきた沿岸も万里の長城のごとき防潮堤により、水辺との暮らしが乖離していき、保水する山林は切り崩され、埋め立てて開発が進んだ。
今ではほとんど消えてしまったが、かつては家の台所に川の水を引き込み、生活用水として使用していた。大きな古民家で、もしかしたら見ることができるかもしれない。
炊事や洗濯も共同で用水や井戸を活用していた。そう井戸端会議という共同体の交流場所である。
温泉が湧出しているところは、コミュニティ共同の炊事・洗濯に浴場があった。
このように水辺は地域住民の生活と交流の場だったのである。
西条市の湧水
さらに子どもたちが自然と向き合う、最高の学びの場だった。
海から川を遡れば、山に至る。
山や森林を無視すると日本人は豊富な水を失う。
家庭の水道の蛇口まであっても、山が長い期間貯めている水が無くなれば無用の長物となる。
全世界でも生水をそのまま飲める国は少ない。なんと素晴らしい山の恩恵か。
国産のミネラルウォーターも増加しているが、この水だって山から湧出しているものだ。
リニア新幹線のトンネル掘削で、静岡県知事が固執することは理解できる。それほど大事な資源なのだ。
いくらDXが進んでも、水を作ることはできないし、科学の力で作るとしてもとんでもない費用が必要だ。
水は文化や人を育む。
昨今、山が外国資本に買われ、水源地が地元の自由にならないケースが出ており非常に心配している。国の防衛はミサイル配置ばかりではない。国土を守ることをしっかり考えて欲しいものだ。
本年の大学教育一次試験が始まっている。なにやら数年先にはプログラミングが試験導入されるとの話もある。小学校からのIT教育も大事なのだろうが、子どもたち全員がプログラミングを学ぶ意義はあるだろうか相当に疑問だ。
人間を人間として育てないと「人」ではない日本人になってしまう。
今こそ、水に親しみ学び直すプログラムづくりを進め、ツーリズムに活用していくことが求められる。
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山・川・湖・海などの水辺環境の保全・再生を行いつつ、自然と人のウェットな関係づくりの再構築が重要だ。

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