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地域のリブートー住民参加は学びの土壌づくりから

ポルトガルの民話に「石のスープ」という話がある。
飢えた旅人がある集落にたどり着き、民家に食事を求めたが、食べものはないと断られた。一計を案じた旅人は、路傍に石を持ち、世界一美味しいスープができる不思議な石を持っているので、鍋と水だけ貸してと頼んだ。お湯が沸くと旅人は鍋に石を入れ味見して「これは美味しいが塩を入れるともっと美味しくなる」と言う。興味を持った家人は塩を持ってくると、旅人は塩を入れ「ここにジャガイモが入ればもっと美味しくなるのになあ」と呟く。いつしか集落中から集まった人たちは興味津々で成り行きを見ていたが、「ここに肉があれば、ここにタマネギが人参が」との旅人の呟きで、皆が持ち寄った。そしてできあがったスープを皆に食べさせると感激の嵐が起きた。そして旅人はスープのできる石を家人に預けるとそっと旅立っていったと言う寓話である。
この民話は地域コミュニティが、常に外に開いていると様々な人や情報が集まり、地域の常識では考えられなかった事象が起きるということで、この寓話では何でも無い路傍の石が、集落の人たちを結集させ世界一美味しいスープを創り上げたことに意味があるのだ。

新元号の「令和」になり2年目。元号の変わり目は常に世の中で何かが起きていた。
和と言えばやはり聖徳太子の「和を以って尊しと為す」を想起するが、それは「なれ合い」では無く、利他の精神から生まれるものだろう。
現在様々な場面で『世代交代』や『事業継承』いう言葉が語られる。
地域でも『世代交流』が大切だ。因習や前例踏襲を残したままで、新しいことをいくら考え行動しようとしても、自ら“壁”を作ってしまうと、なかなか良いものが出ないし、良いアイデアも足を引っ張られ、イノベーションは起きない。
地域は磨き続けないと錆びてしまう。錆びさせず元気で持続させたいなら、自然・文化・教育・経済・生命・健康など、極めて多様な観点からの総合的な探求が欠かせない。
そのためには自分を、地域を開放することが自らを助けることになるのではないだろうか。
何度も言うが、地域の特性や環境をベースにした新たな観光経済の仕組みを作り出すため、地域における学びの実践が必要だ。
自らの地域を外部から見る目を養い、暮らしたい豊かな地域を次世代にバトンタッチしていくことができれば地域は持続するだろう。
日本は人口減少が止まらない。行政の役割は、地域に暮らしている人を「元気にする」ことだ。

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一発ヒットや年一回の大イベントは必ずオーバーツーリズムをもたらす。
地域観光は暮らしに負荷を掛けないことだが、何よりも住民自身が我がまちを誇りとして、住民一人一人が主役となるプログラムや訪問者が住民になれる、主催者になるなど、暮らしの中にある「ほんもの」を商品化する地域主導型観光を推進し、移住・定住者を増加させることだ。
住民が安心で楽しく暮らせる生活環境を創れば、現状を打破する糸口になるばかりか、いずれ訪日観光客にも響く地域となるに違いない。
「地域づくり・まちづくり」には、これで良いという終着点はない。
地域課題に気づいた人が、自らグループを作り活動することが「まちづくり」だ。
しかし近年の地方を外から俯瞰すると、ほぼ同じ目的を持つ組織団体が複数存在していることも多々ある。
人材や良い資源に恵まれていても、目標共有のないバラバラな取組は足の引っ張り合いを助長ずるだけで、結果として地域の総合力を結集できていない。
そのため地域づくりは協働のプロセスから、地縁集団を中心に地域間・行政間・異業種連携はもとより、NPOや諸団体、さらに人と人の「つながり」により生み出される力が不可欠となる。
体験型観光をしたいと、行政や観光協会が安易にボランティアガイド育成に走ることに疑問が残る。
そもそも無料が「おもてなし」だと勘違いしてはいないだろうか。
この勘違いをする行政やボランティアの方々が全国にたくさんいるが、ガイドはホテルマンと同様にプロ意識が欠かせない。
アマチュアの無料ボランティアだからという逃げや、自身の趣味や満足で知識の押し売りをする意識では地域を貶めるだけである。
「日本で一番住みやすいのは我がまち」と鏡に問うていると、いずれゲシュタルト崩壊を起こしてしまうので早急にやめないといけない。

今、必要なのはハード事業ではなく豊かな生活を維持するため、地域で自ら学び実践する風土(学びあう土壌)を創ることだ。
連綿と培った学びと他者を温かく受け入れる風土は、長い地域の積み重ねであり他地域への汎用化が困難である。
地域オリジナルを保護し価値創造を行う人材を創出が急務なのだ。

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