5月24日。前参議院議員の段本さんの退院祝いを兼ねた「あぐり大学院」OBのBBQに出席。当日はアメとの予報は裏切られ千葉県の稲毛海岸のバーベキュー会場はピーカン。先日買ったばかりの帽子を忘れたことに悔やむことしきり。それでも楽しいひとときを過ごしました。
19:15旭川空港に
稲毛海岸駅から羽田空港にバスで移動。搭乗手続きはQRコードでピッ!簡単な世の中です。
夕闇迫る旭川空港に降り立ち、バスで美瑛のホテルに。
ここで宿泊は2回目。どうしても食べたいものがあったからだ。
それが写真のジャガイモサラダ。そうめん程に細く切ったジャガイモを(水で晒したと思われる)マヨネーズと香辛料で和えて、ガラスの器にタワーのごとく…これはまさに生ジャガの東京タワーや?!
旭山動物園で呼び物のパフォーマンス
5月26日、本日は鉄板の一般観光。
まずは予てより行きたかった旭山動物園にレンタカーで向かう。
人気の動物園呼び物のアザラシ館でマリンウェイを行き来するアザラシ。空中散歩するオラウータン、本当に飛んでいるように水中トンネルで見えたペンギン、カピバラと同居するクモザル。もぐもぐタイムにタイミング良く間に合ったため、動物たちの姿が思う存分見ることができ、行動展示の良さを改めて感じた。次は長崎バイオパークに行くぞ?!
ちょっと遅めの昼食は「旭川ラーメン村」、その後、もう一度美瑛町に戻り、美しい農村景観を見ながら卓真館と美瑛創造の森に伺う。
この農村景観のすべてが農業生産の副産物であり、農業が集結することでどれほど美しい景観を創れるかを実証している。改めて日本人がもっと大事にしないといけない、この景観は食育だと実感する。
一日を振り返れば、このような観光は10年以上していなかったことに気づく。
ちなみにJR飯田線は「鉄ちゃん・鉄子ちゃん」に有名だが、峡谷と軟岩盤が連続する険しい飯田線を開設のため命がけで測量、その後の線路工事の現場監督をした川村カネト(1893-1977)は旭川市生まれである。その偉業を讃え合唱劇「カネト」の公演が毎年、浜松市と飯田市で行われている。
留萌市の感想
旭川市から一路、留萌市へ。
留萌は縄文時代から三泊漁港付近に人が住みだしたようである。
アイヌ語で「ルルモッペ」(奥深く海の水が静かに入ってくる川)と呼ばれ、慶長年間(1596-1964)には松前藩がアイヌの人たちとの交易、1844年から1958年までニシン漁で隆盛を極めた。
また1933年には留萌港が完成し国際貿易港となっている。
日本一の夕景と言われる黄金岬で一寸休憩。愛媛の若松進一観光カリスマとハーモニカの調べを思い出す。自分の暮らす場所に誇りを持つことの大切さを再認識。
岬の高台にある「海のふるさと館」でニシン漁の産業遺産を見るつもりが、佐藤 勝(映画音楽作曲家1928-1999)に出会う。黒沢作品や石原裕次郎の映画音楽を手がけた偉大な作曲家は留萌出身であったことを初めて知る。さらに「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者宮川 泰氏も同市の出身ということで、留萌の海はニシンだけでなく音楽家を育むところと感激する。
コブクロならぬイブクロ
おみやげ萌(留萌観光案内所)に寄り込む。年間イベントの多さにビックリ。
人口3万弱の街がこれだけのイベントを維持することはかなり無理が生じているのではないだろうか。
一時のイベントは、瞬間風速で訪問者が市民数を超えるだろうが、普段着の交流をもっと増やすべきだ<a href=”http://tiiki-saisei.jp/wp-content/uploads/2008/06/img_11081.jpg”></a>ろ<a href=”http://tiiki-saisei.jp/wp-content/uploads/2008/06/img_11081.jpg”></a>う。
ここでの発見は、「イブクロ」というコピーバンドだ。読んで字のごとくコブクロのコピーであるが、一度会ってみたい存在である。
単線でジーゼルカーが走る鉄道。大作曲家のふるさと。数の子生産量日本一、面白そうな祭りなど数時間滞在しただけで地域資源がゴロゴロ。再生の手がかりは数日、滞在しヒアリングすれば山のように出てくる気がした。
『「仕掛ける時に金は使うな。頭と足とココロを使え」と、よく上司に言われた。どういうことかというと、イベントなどする時に、すぐにポスターやチラシを作ろうとするのではなく、まず、どう</span><span style=”color: rgb(13, 13, 13);”>すれば、お金を使わずに宣伝やPRをできるかを考えろ』元吉本興業で現在「NPO法人笑いと幸せ研究所」を主宰する大谷由里子も言っています。
日本一のひまわり畑?北竜町?
午後、今夜宿泊予定の北竜温泉サンフラワーパークで北竜町の佐光 勉さんと待ち合わせする。
ここはひまわり畑日本一である。佐光さんの案内で種蒔き準備をしている畑や眺望の良い高台を視察。100万本のひまわりが咲き誇った時の見事さを想像した。
ひまわりをデザインした街の外灯のアイデアは、佐光さんで町全体をひまわりというコンセプトで統一していた。特産品もひまわりに由来するものが多く、しかし時間が無かったため「ひまわりラーメン」「ひまわりチャーハン」が食べられなかったことは、自称田舎食グルメとしては後ろ髪を引かれる思いであった。
次に佐光さんに連れられて向かったのは、北竜町合同庁舎。ここで佐野 豊副町長と懇談する。
滝川市長と懇談
北竜町から雨竜町を抜け滝川市役所へ。玄関には北海道の地域づくり仕掛け人の水口正之さんが待機していて、そのまま市長公室に向かう。
水口さんの本業は水口新聞販売所であるが、北海道B&B協会をはじめ過疎逆塾ほか、その活動範囲は実に幅広い。「おお?いでっかいどうカボチャ大会」や滝川町の「日本一の菜の花畑」も水口さんの仕掛けだ。
人口4万余の滝川市はアイヌ語で「ソラプチ」(滝のある川)と呼ばれ道内有数のリンゴ産地であり、飯田市とも似ている。田村 弘市長とは2回目の出会いで、市長公務が分刻みと忙しい中、ずいぶんと時間を割いていただいた。
その後、水口さんの案内で満開に咲き誇る菜の花畑を数カ所見学後、秋にはコスモスが一面に咲く丸加高原へ。放牧牛の風景は松本の美ヶ原の風景にかぶるが、頂上の眺望で北海道に居るという実感が湧く。
田んぼの中のファームレストランMama’s Kitchenで評判の野菜スープカレーを大急ぎで食べ深川市の拓大北海道短期大学のログハウスに。
短大の橋本教授の依頼で元気村地域づくり研究所主催の「宝夢卵塾」にて講義を行う。
この会は北空知地方の地域づくり関係者のネットワークで、持続的な広域連携による地域づくり活動をしているため、多様な活動団体の方々に傾聴していただき、また熱心なご質問をいただきました。その模様は6/28付けの北海道新聞で記事にしていただいてますのでご覧ください。