梅の収穫・加工がピークですが、鳥取や福井ではそろそろ「らっきょう」の収穫時期でしょうか。
「らっきょう」はヒマラヤ地域が原産で日本では平安時代の「新撰字鏡」や「本草和名」に「薤」(ニラ)と表記され、「延喜式(えんぎしき)」では「薤白」(白いニラでしょうか)と言う名前の表記に変わり現在は「辣韮」(辛いニラでしょうか)と書きます。つまり書いて字のごとくニラやネギの仲間なんですね。
平安時代は、中国と同様に薬用として用いられており、今でこそ、その辛い成分がアリシン(硫化アリル)であり、消化液の分泌を促し、ビタミンB1の吸収を助ける機能があると判明していますが、いやいや漢方の奥は深いです。
本格的な栽培が明治から始まり、食用として定着していきますが、やはり「らっきょう」をカレーの付け合わせとしたことが、相当のインパクトであったと思います。それにしても新たな食べ方を発明した先人(誰が始めたか諸説在り)に敬意を表したいと思います。
「らっきょう」のブランドでは福井県三里浜の砂丘で栽培する「花らっきょう」と鳥取砂丘で栽培される「砂丘らっきょう」(毎年友人から手作りをいただいている)に、沖縄や奄美諸島を中心に細馬される細長い「島らっきょう」でしょうか。因みに静岡県浜松で名付けたと言われる「エシャロット」も「らっきょう」のひとつです。
「花らっきょう」は元々、「端(はな)らっきょう」でした。福井では「端(はし)」を「端(はな)」と言います。「らっきょう」の両端を切り整えて漬けることを意味してしていたのですが、取り違えたかマーケティングの成果なのか、いつしか(たぶん昭和)「端」が「花」と綺麗なネーミングに変わりました。
ユリ科多年草のらっきょうは、1年目で玉が2つ、2年目に4つ、3年には8つと増えていきます。3年物になると玉は小さくなりますが、そこから大粒を選りすぐった上物がブランドの「花らっきょう」として販売されているのです。因みに某大手の食品会社が商標を持つ「花らっきょう」は、そのほとんどが中国産らっきょうなので、勘違いしないようにしてください。
「砂丘らっきょう」も江戸時代から始まり、昭和初期までに15haの砂丘畑を開発。京阪神中心に販売していましたが、戦時中は不要な作物とされ「らっきょう」の危機が訪れました。戦後に乾燥に強い作物と注目され復活。そのころに「砂丘らっきょう」という統一名ができました。
これらの努力により、鳥取砂丘での伝統的な生産や気候・風土・土壌などの生産地等の特性が、認められ、GI登録(産品の名称(地理的表示)を知的財産として登録し、保護する制度が「地理的表示保護制度」)がされました。
こちらも花らっきょうと同様に両端揃えをしますので、この時期の農村女性は大変(男はトラクター作業中心)です。友人の奥さんに聞きましたが根切りなどの作業がとても辛いといっていました。
なお「島らっきょう」はポテッとした本州産と違い、細長く辛味が強いです。根切りや茎切りといった両端揃えをせず、葉や根が付いた状態で売られています。
両端揃えをして漬け込む「らっきょう」葉や根をそのままで売る「島らっきょう」
健康に良いとするらっきょうですが、どうやら食べ過ぎは胸焼けや胃もたれを起こすようです。1日五粒を目安に毎日おいしく食べてください。