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菅江真澄考13-浪合宿

菅江真澄考12で書いたが、根羽は「甲陽軍艦」や「信長公記」などで「禰羽根(ねばね)」として登場する。

真澄は信濃の旅で投宿した根羽を覚えていたのだろう。「羽山、羽根川などいと多し。また羽禰(はね)といふ名 三河、尾張、信濃にも、そのほかの国にも在り。(中略)この羽山邑に長者あり」と秋田佐竹藩の地誌作成で現在の横手市に入ったときの記録に書いている。

羽禰という地名が付くところには長者伝説があると書いているが、隣の平谷村には長者峰という地名も在り、阿智村園原には「金売吉次」の伝説がある(阿智村編で書きます)

根羽宿から平谷宿と「中馬街道」を通り、治部坂を抜けると「浪合宿」に入る。

治部坂峠no浪合宿へ

治部坂の謂われは菅江真澄考異聞「尹良親王伝説」をご覧いただきたい。

真澄は浪合の宿で数日滞在したようだ。もしかすると植田義方に旅早々に取られた路銀を無心していて、数日待てば届く段取りだったかもしれない。

namiai浪合の町並

さてこの浪合(現阿智村浪合)には、伝説の人物が二人いる。一人は「尹良(ゆきよし)親王」で、詳細は菅江真澄考異聞「尹良親王伝説」と「尹良親王とユキヨシ様信仰」を見て欲しい。

真澄も『委寧能中路』の前文に『二村山』と『美濃の中山』そして本文中に『尹良(ゆきよし)親王』や『良翁権現(浪合神社)』に参詣した思い出を書いている。

しかしもう一人の人物「念阿弥慈恩(ねんあみ じおん)」という禅僧のことは書いていない。

ウィキペディアを見ると南北朝から室町期の禅僧であり剣客とある。剣術の流派「念流」の創始者とされ、父の敵を討つため還俗した時の俗名を「相馬四郎義元」とある。

なんと!あの「相馬野馬追」の奥州相馬氏の直系なのだ。しかも坊さんなのに「念流」という剣術の創始者だという。その剣術は10歳のとき、京の鞍馬山で異怪の人に出会って妙術を授かったという牛若丸並みのオマケ付き。

慈恩は諸国を歩き、剣術を教え晩年に浪合村へ来て長福寺を建立したようだが、なぜこの地を終の棲家としたのだろう?

慈稔の墓慈恩の墓

現在、長福寺はないが慈念和尚を讃える念流太鼓を浪合神社で毎年奉納される。

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