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菅江真澄考11-旧友と毎日、桜の花見で盛り上がる

ブログでは2016年で暫く止まったきりでしたが、真澄は飯田で3月半ばから末まで滞在している。真澄は知人宅に逗留する予定であったが、どうやら城下で大火事があり、街並みが分からず途方に暮れたという。

知人とは誰か?私は想像する。

真澄の知人は和歌をたしなむ者である。さらに本草学に詳しい人物ではなかったかと。

当時、飯田で本草学と言えば「市岡家」が頭に浮かぶ。時代は五代市岡智寛が党首であった。年譜によると智寛は博学多才で、山鹿流兵学・一刀流剣術・漢学・本草学・和歌・画・茶・生花・盆栽の技ありとあり、真澄が身を寄せたいと思える人物にピッタリと合う。飯田市美術博物館に智寛が菌類のみを採取し、著した「伊奈郡菌部」が所蔵されている。

さて逗留先を失った真澄だが、偶然、竹馬の友の中根某と出会い、中根家で3月31日まで世話となる。その間は飯田、鼎、上郷の桜見物で毎日飲み歩いたようだ。

■真澄の歩いた飯田(旧暦3/15は現在の4/15であり、現在の桜の満開時期と同じ)

①飯田市民のシンボルである「風越山(ふうえつさん)」をスケッチした「「風越の峰」 風越の峯gennzai 風越の峯2

②白山権現では「風越(かざこし)の山は名のみぞ治まれる御代の春とて花の静けさ」と詠んだ。ところが、突風で桜が散る様に、「心して峯吹きかえよ風越の麓の桜散りなんも憂し」と詠んだ。

白山神社参道

③街の中で巨木の桜を見ているようだが、現在はない。現在巨木で残るのは樹齢450年の「安富桜」と言う家老宅であった場所で、さすがに家老宅前に縁台を出して花見酒はしていないとみる。

安富2018

④飯田市上郷の竜坂(県道)は、私が小学校に通っていた頃も桜が多くあった。真澄は左右の桜並木を見ながら下っていったと思われる。現在は桜も減っており、最近は途中の「飯沼諏訪神社」でその名残を見ることができる。

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⑤天竜川は上郷の渡場(どば)か弁天港辺りだろうか。筏流しの記述がある。現在は天竜舟下りの出発港である。※写真は天竜舟下り会社で再現した筏下り

いかだ

⑥愛宕坂は当時とほぼ変わらない道だろう。坂途中で眺めた愛宕神社の桜に、飯田で最も古い樹齢700年の愛宕桜がある

SN3O0044

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⑦「松河という川を渡ろうとすると、雨がふいに降り出してしまって残念だったが、人々は大勢、雨に濡れても花の元を離れようとしない。細い道まで行列になってしずしずと花を身歩く人々の後を着いていった」松川端の桜は私の幼少の頃も桜の名所であり賑わっていた。

松川no

 

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