旅本来の姿は、自分たち以外の民衆を発見し、手をつなぐものであったことを忘れてはならない。昔はその中に自分を、また世の中を発展させる要素を見出していった(宮本,1987,78頁)
この宮本の言葉は現在も生きており、こうした時代だからこそ忘れてはいけない。
現在でも農村で歩いていると突然、農家から寄っていけと声を掛けられる。見れば縁側に数人が腰を下ろしお茶を飲んでいるところに、赤の他人を家に招き入れ茶を奨めるわけだ。この行為(好意)は実は重要な意味を持っている。
農家の縁側は、情報交換や共有の大事な場所で、隣近所の人だけでなく郵便局員や駐在所の所長、JA職員、担ぎ売りの人たちが寄り込み、政治経済から農作物の出来不出来、集落の誰彼の話に他地域の話と様々に語られる。見知らぬ者を見つければ、招き入れてそれとなく様子をうかがうのである。
旅人に一夜を提供することは当たり前と考えていた昔の農村が、茶でもてなすことなど、もてなしと思っていないのだが、訪れた旅人にとって爽やかな空気や景観に加え、柔和な笑顔と無垢なもてなしは、温かい地域との好印象を持つこととなる。
地方には旅人の来るのを待っている気風があり、それが自分たちに何らかの利益をもたらすと見れば、心から歓迎して旅人の持つ知識、技能を吸収したのである(宮本,1975,146頁)
「地方には旅人の来るのを待っている気風」今でも家内の実家は玄関の鍵をかけたことがなくいつでも待っている風情があります。(山本)7人の家内は、いつ行っても二人分の食事に困ることがない。。前は水田が続いているので玄関から電線がみえない。年寄りが同居している。
ここへ行くと我が家がこまごましていることを感じます。