飯田市における地域経営の根幹は、学び続ける住民力である。
近代、飯田市政の根幹となる公民館型行政(ボトムアップ型)を形にしたのが、「太郎さ」と市民に慕われた松澤太郎(1912-2007)である。戦前は経団連会長や土光臨調で有名な土光敏夫の直属の部下でエンジニアとし働いていたが終戦後、「心境の変化にて」と土光が呆れた辞職願を出し退職。1956年に飯田市教育長と市立図書館長に就任、1972年には市長として地域経営に辣腕を振るった。
コミュニティを単位として、市政を考え実行していけば、地域住民に密着した市政に一歩近づくのではないだろうか。古い意味の旧村意識ではなくて、新しい立場から村を考え直してみる必要がある。こうした理念を持ち続けた松澤の業績は、前章で安藤隆一が取り上げた「人形劇のまちづくり」がその一つであるが、中でも1973年に松澤市長が打ち出した画期的な施策が「市民セミナー構想」で、その後の飯田の地域自治の基盤となった。
“地方自治の要となる公民館活動を強化せよ”とトップダウンであるが、具体的指示を与えずに公民館主事たちに下駄を預けた。
主事会と地区住民での熱い論議から「飯田を考える」という共通テーマのもと、生活の場を拠点に市民セミナーを開講することになった。
ちょうどこのころ中央自動車道の開通やゴルフ場建設計画、水資源の保護など市内各地区には喫緊の課題があり、これらを地区のテーマに据えることで、住民自身が足下の課題を掘り起こし、考え行動することになったのである。
?「自分たちの地域は自分たちの手で」まちづくりのための市民の権利意識の醸成
?市民の自発的発想を活かしたまちづくりにつながること
?地域問題を積極的に学習し、住民一人ひとりが飯田を考える
これが「飯田市民セミナー」を開講するさいのねらいであった。
とかく公民館が主体となる学びは、気をつけないと安易なカルチャースクールに陥る。だが飯田の市民セミナーは、市民一人一人が自立し、地域が自立することを探求したのである。