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真よみがえれ廃校(6)―廃校は他人ごとではない

日本の公財政教育支出は、GDP比で約3.0%(2021年度)。
OECD平均の約4.3%を大きく下回り、加盟38か国中下から2番目という低水準にある。
高市内閣では教育予算を「防衛予算と並ぶ最重要政策」と位置づけるものの、肝心の「新たな財源」は見通せない。
これほど教育投資が薄いままで、日本は本当に少子化を止め、子育て世代に未来を示せるのだろうか。
■小規模化が進む学校、そして国が迫る統廃合
文科省の2024年度調査では、小学校の約4割、中学校の約5割が、国の定める標準規模(12~18学級)を満たしていない。
1学年1学級以下に相当する小学校6学級以下、中学校3学級以下は、「統廃合の速やかな検討」を自治体に求められている。
地方創生1.0では、適正規模化が明確に打ち出される一方、かつて重視された小規模校の活性化や休校の再開支援は後景に退いた。
「小さな拠点づくり」の名のもと、経済活動や公共サービスを中心部に集約する政策が優先され、結果として学校統廃合は一気に加速している。
しかし、統合後に新増築すれば平均20億円以上、既存施設利用でも600万円程度は必要だ。
通学範囲が広がればスクールバスの導入が避けられず、購入費だけで平均1800万円、加えて運転手の確保という新たな課題も生まれる。
費用だけが問題ではない。
学校区住民の反対で統廃合が長年進まないケースも少なくない。利害関係の薄い他地区住民からすれば「合理化を妨げるわがまま」と映るかもしれないが、これは迷惑施設の建設反対や基地問題と構造が同じである。
公益か、地区民益か。
その緊張関係の中で揺れているのが、いまの学校統廃合だ。
■財政逼迫のなかで、廃校は“重荷”として扱われる
全国の自治体財政は逼迫し、効率化は待ったなしだ。
「いっそ校舎は取り壊して土地を売却したほうが得策」
「活用に財源を投じる余裕などない」
こう考える行政が多いのは自然なことだ。
だが「財源がないから学校を統合する」という判断は、裏返せば「この地区には住む価値がない」と行政自身が宣告するに等しい。
それは地域衰退を決定づけ、消滅へと近づける政策であることを、私たちはもっと深刻に受け止めるべきだ。
私はこれまで、学校という地域の象徴が消え、拠り所を失った地域が急速に衰退していく光景をいくつも見てきた。
しかし、その一因は学校区の住民自身にもある。
「こんな所にいても仕事がない。外に出て大企業に就職しなさい」
そう言って地元から若者を送り出してきたのは、私たち自身ではないか。
地域や生業に誇りを持てず、未来を託せなかったこと。
その積み重ねこそが、今日の少子高齢化の根底にある。
本当に学校を残したいなら、子どもや孫を“地域に戻す”努力が必要なのだ。
■廃校は「地域資源」。だが行政任せでは限界がきている
現在、活用されている廃校の75%以上は自治体が主体だ。
ノスタルジーで眺めるだけなら費用はかからないが、建物を残す限り維持費は発生する。
財政がギリギリの自治体では、これ以上の負担は難しい。
にもかかわらず、行政が「地元で運営を」と呼びかけると、「自分たちには無理だ」と尻込みしてしまう地域も少なくない。
確かに、担い手不足は深刻だ。少ない若者に複数の役が集中し、自治活動の維持すら難しい地区が増えている。
廃校活用で最大の課題は「運営者がいない」点にある。
だが、廃校活用の本質は学校区コミュニティの再生と次世代の確保である。
単なる保存運動ではなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という覚悟が求められる。
できない理由を探すのではなく、地域で考え、共有し、手を挙げ、行動することが未来を開く。
過疎と高齢化が進む今こそ、福祉や防災も含めて“地区まるごと家族”となる発想が必要だ。
廃校は、その拠点になり得る。
廃校は、行政の失策でも国の制度のせいでもない。
私たちの選択と、地域の生き方の結果でもある。
だからこそ、廃校は私たち自身が活かすしかない。
地域が自ら動き、自ら未来を紡ぐ。
その覚悟こそが、廃校を「負債」から「資源」へと変える第一歩なのだ。
飯田市木沢小学校

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