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強い言葉に流されないために

最近、高市首相が「非核三原則」の見直しに触れたり、小泉防衛大臣が原子力潜水艦への関心を示したりと、日本の安全保障をめぐる議論が慌ただしくなっている。
トマホークの導入など含む防衛費の増額も進められ、「備えを強めれば日本は安全だ」という空気が強まっているようにも感じる。
ただ、その議論が勢いを増す一方で、少し不安を覚える人も増えているのではないだろうか。
国会で交わされる発言はときに力強すぎて、平和を求める多くの市民には距離を感じさせることがある。
とはいえ、こうした流れを政治家だけの問題とするわけにはいかない。
どの道を選ぶのかを最終的に決めるのは、私たち国民だ。
雰囲気に押されてしまうことなく、落ち着いて未来を託せるリーダーを選び続けることが、平和な社会を守る土台になる。
日本はかつて、周囲の空気に後押しされるように戦争へ進んでいった苦い経験がある。
当時も、多くの人が不安を抱えながら、反対の声は次第に出しにくくなっていった。
日中戦争のあとには、軍事費が増え、農産物や塩といった生活に身近なものまで統制されていった。
こうした「生活へのしわ寄せ」が、戦争への警告サインだったとも言われている。
古代中国の思想家・墨子は「他国を攻めてはならない」と説く一方で、「攻められた時はしっかり守れ」とも言っている。
争いを望まないが、しかし自分たちの暮らしは守り抜く。その姿勢は、今の時代にも大切な視点だろう。
今、世界のあちこちで、強い言葉を掲げる政治が支持を集めている。
民主主義への不信感が広がり、落ち着いた議論よりも、耳ざわりのよい主張が注目を浴びる。
だが、だからこそ私たちは歴史の教訓を忘れず、冷静さを持つことが必要だ。
どんな形であっても、戦争は人々の暮らしを深く傷つける。
80年前の出来事を繰り返さないためにも、私たち一人ひとりが、穏やかに、しかし確かな目で政治を見守り続けることが大切ではないだろうか。
日露戦争のイラスト

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