いま、日本の観光は「インバウンド台風」の真っ只中にある。観光の中心にいる業者は潤っているが、その周辺で暮らす地域住民にとっては「地域内での消費誘発」が薄いインバウンドの波が、むしろ生活への負担となって押し寄せている。
では、政府や企業の思惑に左右されず、地域が食い物にされない“ほんとうの観光”とはどのようなものだろうか。

少し懸念していることがある。高校教育から歴史科目が姿を消し、大学入試でも出題されなくなりつつある。
こうした流れは中学校教育にも及び始めている。
せめて日本の子どもたちには、「日本の歴史文化とは何か」を正しく学び取ってほしいと思う。
日本観光の本筋は、世界に類を見ない「歴史文化の厚み」にある。
もっとも、私たちが“伝統”と思っているものの多くは、実は明治期以降に「創られた伝統」である。
記紀の時代から、宗教や国家政策を基盤に、一部の知識層が庶民を導く(ときに支配する)形で“国の物語”が編まれてきた。
ゆえに、「いつから始まったのか」「なぜそうなったのか」と問われても、その起源は曖昧なことが多い。
地域の祭りの多くは江戸時代が起源であり、建築物では奈良の大仏のように明確な年代がわかるものもある。だが、たとえば浅草の雷門――実は昭和35年(1960年)の再建で、東京タワー(昭和33年完成)より新しい。
訪日客に人気の“伝統文化”の中には、こうした比較的新しい「創られた古さ」も少なくない。
そもそも文化とは何か。
文化庁は「自然や風土とのかかわりの中で生まれ育ち、立ち居振る舞いや衣食住、暮らしの様式、価値観などすべてを含むもの」と定義している。つまり文化とは、血の通った“生き方そのもの”なのだ。
近年は映画『国宝』のヒットに象徴されるように、能楽や歌舞伎、相撲といった古典芸能から、世界に広がるアニメや食文化まで、多様な日本文化が高く評価されている。こうした本物の文化には、時代や国境を越えて人を惹きつける力がある。

一方で、「偽ジャパニーズ」を名乗り一時の流行に便乗する動きもあるが、それは本物の輝きを損なうだけだ。真に誇るべきは、時代の波に消されることのない“本物の文化”である。それこそが「文化による国防」と言えるだろう。
だからこそ、流行や経済に振り回されることなく、日本は自らの文化を静かに、そして確かに刻み続けてほしい。
地域の人々が、自分たちの土地に根ざすモノやコトを慈しみ、育て、次の世代へと繋げていく。その積み重ねの中で、家庭も地域も、そして歴史文化も「いつの間にか」形づくられていくのだ。

