先日、廃校活用の事例調査のために青森県・岩手県を訪ねた。
この調査はすでに10年に及び、毎年全国のどこかの地域を歩き、その記録を積み重ねてきた。成果の一部は「まちむら交流機構」のウェブサイト(廃校活用事例データベース)で公開されている。
全国では毎年およそ300校の公立学校が閉校している。少子化に歯止めはかからず、2024年の合計特殊出生率は1.15と過去最低を更新した。児童生徒数の減少は今後も避けられず、統廃合の議論はますます広がるだろう。
では、統廃合は果たして妥当なのだろうか。
財政負担の軽減や効率的な運営という観点からは、学校を集約することに一定の合理性はある。部活動が成り立たない少人数の学校を「子どもが可哀想だ」と語る声もあり、統廃合を教育の質向上につなげようとする考えも理解できる。
しかし、それだけで結論を出してよいのだろうか。
多くの地域で「放課後の活動を終えて帰宅すると夜遅くなる」「安全面や体力面が心配」「送り迎えが増え、親の仕事との両立が難しくなる」といった声を耳にした。
特に小学校低学年にとって長距離通学は負担が大きく、家庭や地域の交通手段への依存も高まる。統廃合が子どもや保護者に新たな負担を強いる現実を見過ごすことはできない。
一方で、小規模校には独自の強みがある。
教師と子どもとの距離が近く、一人ひとりの個性や成長を丁寧に見守ることができる。
地域に根ざした特色ある教育や行事も、小規模だからこそ実現しやすい。
重要なのは、地域住民が学校に積極的に関わり、先生と共に子どもを育む仕組みを築くことだ。
学校は単なる「教育施設」ではなく地域コミュニティの核だ。
運動会や文化祭は住民の交流の場となり、災害時には避難所としての役割も果たす。
筆者自身もその現場をいくつも目にしてきたが、学校の消滅はしばしば学区の消滅につながり、地域のアイデンティティそのものを揺るがす。
子どもを育てる営みは、経済効率の尺度だけでは測れない。
教育環境の選択は「予算の論理」だけで決めるべきではなく、子どもの健やかな成長、地域の誇りやつながり、人々の生きがいといった観点から総合的に考える必要がある。
学校統廃合は単なる「数合わせの論理」ではなく、地域全体がどのような未来を描くのかを問う問題だ。
だからこそ、住民一人ひとりが地域の持続可能性を考え、学校をどう位置づけるのか議論を深めることが求められている。

