アメリカではトランプ氏が「移民は雇用を奪う」と叫び、排斥の旗を振っている。
シカゴへの州兵投入をちらつかせ、市民の反発を招いた。
韓国・現代自動車工場では不法就労を理由に数百人を拘束するなど、強権的な対応が続く。移民を脅威と見なす視線は、分断を深めるだけである。
一方、オーストラリアは真逆の道を歩む。
移民を受け入れ、人口増加と都市の発展を促している。
教育や医療、建設など幅広い分野で労働力を補い、住宅やインフラ需要が雇用を生み、内需を押し上げる。高齢化や少子化に直面しながらも、移民を未来への投資と位置づけているのだ。
顧みて日本はどうだろうか。
「移民政策はない」と言いながら、技能実習や特定技能、留学生の就労拡大を通じて外国人なしでは立ち行かない状況にある。
にもかかわらず「移民は雇用を奪う」と唱える政治家は少なくない。
さらに「日本は単一民族国家だ」と誇る声も後を絶たない。
だがそれは虚構にすぎない。
古代から渡来人が技術や文化をもたらし、多様性こそが日本の発展を支えてきた歴史を忘れてはならない。
人口減少が止まらぬ日本が、なお単一民族主義にしがみつくなら、未来は閉ざされるだろう。
必要なのは、移民を単なる労働力としてではなく、社会の構成員として受け入れる覚悟である。多様な人材は新しい発想や技術をもたらし、経済と社会を刷新する。
虚構の「単一民族」に安住するのか、それとも多様性を力に変えて未来を切り拓くのか。選択を迫られているのは、いまの日本そのものである。
人口減少が続く日本が必要とするのは、移民を「労働力」としてだけでなく「社会の構成員」として受け入れる制度設計である。
多様な人材は新しい発想や技能をもたらし、経済や社会の進化を促す。歴史的な連続性の中で多様性を再評価し、世界から優れた人材を呼び込むことこそ、日本が豊かさを維持し、労働力の質を向上させるための道筋である。


