一覧たび談

誰一人取り残さないという幻想の裏側で

「誰一人取り残さない社会」。
その響きは美しく、私たちの良心をくすぐる。
しかし現実はどうか。制度の隙間に堕ちていく人々が、静かに、しかし確実に増えている。
保障と支援の網目は広がったはずなのに、その網はどこか脆く、もろく、時に冷酷だ。
その背景には、資本主義という巨大な化け物の影がある。
「自由市場」という名のもとに、人間の尊厳までもが取引の対象となり、競争に勝てない者は価値を持たないとされる社会に不安しか感じない。
その象徴が、世界を動かすリーダーたちの変節であろう。
米国大統領は「ディール」という言葉を連発し、経済の効率性を第一義とした政策を押しつける。
結果、富める者はますます富み、脆弱な人々は声をそして命を失う。
資本主義は民主主義さえ侵食する。資本が政治を動かし、理念よりも利益が正義となる世界が、静かに完成しつつある。
これが私たちの現実だ。
市場原理は、本来は人々の自由と豊かさを支える道具であるはずだった。
だが、いつの間にかそれは自己増殖する怪物となり、富と権力を手にする者に世界の秩序を委ねさせた。
世界はなお多様性の大切さを掲げる。しかし、それは実態を伴わない装飾に過ぎないことが多い。
企業の広告や国際会議の声明で謳われる「ダイバーシティ」は、美辞麗句としての生命しか持たない。
現実には、分断は深まり、弱者は切り捨てられる。
私たちの社会は、自由と平等を語りながら、その陰で排除と格差を拡大しているのだ。
では、私たちはどう抗うべきか。
答えは、制度や施策の追加といった小手先の改良ではない。本質的な価値観の転換が必要だ。
経済効率よりも人間の尊厳を優先する社会。
競争ではなく共生を基盤とする仕組み。
利益ではなく、いのちと暮らしを中心に据えた世界。
そのビジョンは、決して空想ではない。
むしろ、それを実現しなければ人類の未来は持続しない。
そして、その第一歩は私たち一人ひとりの内面にある。
「誰一人取り残さない」という言葉を、政治家や企業のスローガンとして消費するのではなく、自分自身の生き方の規範として引き受けること。
無関心を手放し、他者の痛みに鈍感であることをやめること。
資本と効率に支配された価値観に、静かに、しかし確固として異議を唱えること。
社会を変える力は、遠い権力者ではなく、目の前の私たちの選択にある。
資本主義という化け物に完全に呑み込まれる前に、私たちは問い直さなければならない。
何を守り、何を手放すのか。
「豊かさ」とは何なのか。
本当に大切なものは何なのかを一人ひとりが考える時代がきている。

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