人口減少と高齢化が進む山村では、平成の大合併で危機を乗り越えようとしました。しかし現実は、一部の集落が消滅寸前です。役員を担う人も、地域を支える人も見つからない。全戸が高齢者という集落も少なくありません。
「やる気はあるけれど、先頭に立つ人がいない」。こういう地域に、外から無理やり変革を押しつけても、うまくいきません。諦めの空気が漂う中では、どんな言葉も届かないからです。
私は長年、講演などで申し上げてきました。
「もし自分たちで動けないのなら、せめて“集落の終活”をしよう」と。
この“終活”とは、ただ畳む話ではありません。
足元の暮らしを見直し、みんなで語り合い、そして小さくても一歩を踏み出す。もし“むらおさめ”となっても、先祖から受け継いだ歴史や文化を次世代に残し、自分の田畑、山林、住まいの行く末を決める責任があります。何もせず、ただ集落の最期を見送るのは、あまりにも辛いはずです。
さて、山村が荒廃するとどうなるか。
熊や鹿、イノシシが人里に出てきます。
それだけではありません。都市に暮らす皆さん、自分が飲んでいる水がどこから来るのか、考えたことはありますか? 澄んだ空気がどこで作られているのか、ご存じでしょうか?
それらはすべて、山村が守っているのです。
山村は、日本の国土保全と食料安全保障に欠かせない存在です。しかし一部の識者は「農村をたたむべきだ」と言います。
理由は財政効率や税金の節約。しかし、それはあまりにも短絡的です。
農水省が令和6年10月に公表したデータによれば、米作りの中心は中山間地の小規模・高齢農家です。

主食の米は、決して平地の大規模農業だけで支えられているのではありません。
中山間地の営みがあるからこそ、日本の食卓は守られているのです。
山間地の農林業は、日本の命の基盤そのものです。
山村の未来をどうするかは、日本の未来そのものをどうするかという問いに直結しています。
この視点を忘れないでいただきたい。

