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語り継ぐことの大切さ

太平洋戦争や広島・長崎の原爆、沖縄戦の悲惨さを後世に伝える。阪神淡路や東日本大震災などの大災害だけでなく、地域の津波や災害を伝えることは大切だ。
リアルな体験は書物では得られない極めて重要な歴史の証人である。
各地に残る伝説や伝承は、語り部の出自や時代を経るで、原点が不明な話も多い。
有名な日本の昔話やグリム童話でさえ、昭和から令和に至る間に私が聞いた話とはずいぶん変わったものもある。
語り継ぐとは「語る」と「継ぐ」の合成語だが、単に情報を伝えるものではない。
過去の情報を伝達するだけでなく、語る者の歩んできた歴史や次世代に伝えなければならない大事なことを引き継ぐ大切な行為なのだ。
教育旅行で農泊した子どもたちに、高齢者の家主が内に秘めた様々な感情も一緒に語る。
家人は「おじいさん、またあの話をしておる」と笑う。しかし家人が聞いたことがなかった話も突然飛び出しびっくりするこがあると聞く。
訪問者に話をすることで、地元の伝承が飛び火する瞬間だ。
繰り返しで良い。繰り返し伝えることから日常の気づきに繋がるからだ。
大いに高齢者のひとり舞台エンターテインメントをして欲しい。
ただし、つまらない自慢話や説教は益とはならない。「しくじり先生」がちょうど良い。
家や家族の歴史、地域の歴史を聞くことは愛を育む大切な栄養素となり、コミュニティ再生や地元愛の醸成になる。
家族や地域のアイデンティティの形成にも寄与(これが嫌で出る若者も多い)し、聴いた者の心や行動が変化するインパクトを有する語りも数多くある。
そしてそのDNAを受け継いだ聞き手が、新たな解釈をしつつ次世代へ繋ぐ行動を為すことで、地域にイノベーションを興す物語が生まれる要素となるかもしれない。
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岩手県遠野市の「遠野物語」の方言による独特の響きやリズムの語りは、聴く者を引き込む力を持っている。そう標準語で話されたら薄っぺらい物語になるからだ。
その遠野物語を採取した柳田國男(1875-1962)は、83歳になった昭和34年(1959)、神戸新聞に口述した『故郷七十年』は、まさに次の民俗学者たちに向けた語り継ぐことだった。
この本には柳田という語り手の民俗学に対する思いや祈りが込められている。
1200軒以上の民家に宿泊したと言われる宮本常一(1907-1981)は、下世話なエロ話まで採取したが、それらを含め高齢者1人が有する物語や知恵は図書館に匹敵する。
柳田に民俗学の祖と言わしめた菅江真澄(1754-1829)は、秋田・青森・北海道で庶民の生活を中心に暮らしぶりや伝承を採取し、膨大な図絵と文章を残した。
この菅江真澄を柳田が発見し、宮本常一が「菅江真澄遊覧記」として纏めた。
日本の多くの伝説や民話のほとんどが、口伝えで語り継がれたものだ。
その語り継がれる民話や伝承には恵みだけでなくタブーや民間信仰が含まれており、地域のアイデンティティや地域性が深い。
それらを家庭や学校、地域社会の中で語り継ぐことで、昔の人々の生き様や価値観を知ることができるかもしれない。
高齢者の経験や知恵も大切な資源である。
高齢者一人ひとりが脳内でアーカイブしている様々な文化や知恵、地域の歴史を広く知らしめることは高齢者自身の大切な作業であり責務なのだ。
これは流行の生成AIでは不可能であり、自分以外も不可能なことだと理解して欲しい。
先人が残した足跡や地域の物語、そして様々な事件や事故、災害の歴史を意識して語り継ぐことは、未来の子どもたちへの大切なギフトになるはずだ。
地域のネバー・エンディング・ストーリーを語り継ぐことは、過去に取られることではない。
語り継がれることで、自分たちのルーツや地域の文化を自分のものとし、地域の未来を見つめ直すことができる。
残念ながら地域には日常に追われ無関心に過ごしており、何も知らない人が多い。
「天災は忘れた頃にやってくる」とのことわざがある。これは真実だ。
世界中の人間が、ちょっと前のことを忘れ、忘れた頃に重大な事故や事件、そして天災がやってくる。
伝説や伝承には先人が末裔に残した忠告が含まれている。
まずは高齢者が語る場を作ろう。
高齢者は歴史を語ろう。
学び合いこそ地域を持続させる必要不可欠なエンジンになる。

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