各地で担い手不足から伝統の祭りが消滅危機を迎えている。
集落あるいは親戚縁者・個人が祀る「山の講」と言われる信仰も消滅危機だ。
「ムラの共同体」意識が希薄となり「人」と「資金」の課題から衰退しつつあり、全国各地でこうした祭りや神事が消えようとしている。
拝金主義がただの価値交換手段である金銭を武器に、不安定な労働を強要し、社会構造を改変、相互に認め合ってきた人間関係を破壊した。
元来、祭は住民が参加するものであったが、祭礼自身が観光イベントに変容する中で、地域に暮らす人が埋没し地域もアイデンティティを失っていった。
地域を表面的に眺め、施策を投じる行政や文明の神に宗旨替えした住民のところには神降りが無くなったと見るべきだろう。
政府は「“文化”を最大限活用して、好循環を創出し、観光立国の実現を目指す」とインバウンド観光に前のめりで、単なる観光の消費財としているように思える。
残念ながら「世界でも固有の地方文化」など大事にしているとは思えない。
●祭りの変容が地域を疲弊させた
「日本の祭りで最も重要な一つの変わり目は、見物と称する群の発生、即ち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的立場から、この行事を観望する者が現れたこと」と柳田國男(1875-1962)は、観客が現れたことによっ、祭礼(見られる祭り)が出現したと述べている。
つまり「信仰」から「イベント」への変容であり、その代表的なものが京の祇園祭である。
コロナ禍での祇園祭りは、町衆が出す山車を中止する一方で、神輿渡御が町々を歩いた。
このことが本来あるべき祭礼に神社と氏子は気づいてしまった。
そして本年の「高額な有料席で飲食させるのはいかがなものか」の発言に繋がっていく。
そもそもは「祀り」であって「祭礼」ではなかった。
ただし地元の民は、神降ろしをして「神と遊んだ」
その神遊びを切り取り観光化し、いつしかそれがメインの祭イベントになってしまった。
イベントは行うたびに資金は上昇していく。
一瞬の観光暴風は地域の為政者の人気取りパフォーマンスになるからだ。
だが、祀りではない「お祭りさわぎ」は、資金の切れ目で簡単に終了する。
明治政府は伝統文化をかなぐり捨てて、西洋近代社会をモデルにした国づくりを進め、悠久の歴史文化の形も色、さらには生活文化さえも変えてしまった。
当時の状況をドイツ人医師ベルツは「自国の歴史や文化をこれほど軽視するようでは、とうてい外国人の信望は得られない」と日記に書いている。
「昔の良いことの消失は仕方ないが、消失したという意識は必要である。それは消えて良いものか、消えて悪いものなら、その代わりはできているか」と、柳田翁は大石伍一に語った。
現在、柳田翁に「消えて良いものなのか、その代わりはあるのか?」と問われても「否」と答えるしかない。
地域に残る豊かな歴史や固有の文化を有する日本。
地域で大切にされてきた長い歴史と文化は、時間をかけて創造された。
ゆえに米国には存在しないため、訪日米国人が増加している。
中国人の増加は買い物だけでなく、文化大革命で失った古き中国文化を求めて訪日している。
日本の文化は共同体の根底にある魂であり、そこが崩れると共同体自体が危ういものになる。
もう一度、地域・共同体の土台文化をしっかり見直して、磨き直しによる再生が必要だ。