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京都祇園祭の宵山が始まりますね

祇園祭は「八坂神社」の祭礼で、葵祭・時代祭と合わせて京都三大祭と呼ばれている。
また大阪の天神祭、東京の神田祭と並び日本三大祭の1つに数えられる。
京都八坂神社
祇園祭は、疫神怨霊を鎮める祭礼である御霊会(ごりょうえ)が起源だ。貞観11(869)年,全国的に疫病が流行した時に、退散祈願のため長さ2丈程の矛(ほこ)を、日本66カ国の数にちなみ66本を立て、牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりとされる。
山車組みは職人技
祭りはいつからか「観光イベント」になってしまった。
柳田國男は「日本の祭りで最も重要な一つの変わり目は、見物と称する群の発生、即ち祭の参加者の中に信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的立場から、この行事を観望する者が現れた」と、観客が現れたことによって、祭礼(見られる祭り)が出現したと述べている。つまり「信仰」から「イベント」への変容であり、京の祇園祭などはその代表的なものである。
この祭礼は、7月1日の「吉符(きっぷ)入り」から神事が始まり、ほぼ1カ月間続くが、派手な山車が出る宵山ばかりメディアで取り上げられ、本来の祭りで重要な神事を知らない人が多い。
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この山車文化は応仁の乱(室町時代)以降、京文化と共に「山」が北海道を除く各地に伝播し消化される過程で、創意工夫があり独自の山車文化が形成、現在も育まれており、ユネスコの世界文化遺産として33カ所が登録されている。
登録されていないが地域の大事な山車文化の1つに石川県から富山県で発展した「きりこ」がある。残念ながらその大切な山車が能登の大震災により失われたり、残っていても祭礼ができない事態になっていることを忘れてはならない。
京都の祇園祭は京都町衆の力が現在まで存続させている源泉である。
だがこれだけ知られ内外から多数の観光客が訪れる祇園祭りでさえ、祭りの担い手が不足している。今年は「厄除けちまき」の作成が間に合わず足りないそうだ。もちろん裏方から曳山をする人の確保もたいへんだと聞く。
昨年授かった大船鉾のちまき
ましてや小さな山村の祭りの担い手は更に深刻である。
現在の祭りが観光経済の中で部外者の対象とされ、劇場化してしていったことが一つの要因ではあるが、住民の手から離れた祭りは必要だろうか?
大切な祭りは、どこかの誰かに依存しているだけでは残らないが、さすがに危機的状況である。
祭りを持続させ未来に伝えるためには、時代に合わせて変えていく必要があるかもしれないが、AIでは担えない。リアルに若者が不可欠なのだ。
祭りのDNAを継承しつつ、若者が自分たちで運営できる形はできるだろうか。

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