一覧連帯の農都共創

農村を守ることは日本を守ること

明治政府は官製の文明開化で新しい世の中が来たと庶民を煽る一方で、第一に優先したのは富国強兵国家の建設であった。
福沢諭吉が「人の上に人を作らず」と言ったが、実態は薩長の一部エリートが民衆の上に君臨する独裁政治であり、このエリートたちは、理想のためには民衆の犠牲などいとわない傾向が見られた。
伝統的な風俗や習慣を否定し、お寺や仏像が破壊する廃仏毀釈を進め、さらに欧米の男尊女卑の考え方を取り入れていった。この完成形が現在の日本なのだ。
これらを推進し欧米列強に追いつくためにその基礎となったのが、土地の私有化を認めつつ税金を巻き上げる「地租改正」である。
地価の3%を地租として政府が搾取する悪法は、江戸時代の年貢と違い、新たな資本家(地主)という支配階級を生み出す政策で、生産者から 商品流通の市場理論に勝手に組み込まれた。
明治政府は富国強兵のために、農業を市場経済に引っ張り出したわけで農民や農村を豊かにするというビジョンなど持ち得なかった。
地租改正は「税金は一人一人がお金で払え」とするもので江戸時代の年貢とは全く違う。
所有する土地に税金を掛ける制度変更は、支配体制の確立のために農村の共同体を解体させ個々人を直接支配することにあった。
商業的営利農業という経済オンリーの社会への転換で、農家は「生産=お金」との考え方に変わり、一方で農村コミュニティを疲弊させていった。
近代資本主義はコミュニティを解体することによって人を経済の1パーツ(歯車)にした。
銀河鉄道333の機械化母星のような日本を作り出したんですね。
このまま政府の言いなりでは日本の自給率は上がらない。一部の農業は残るかもしれないが「農村」は消えてしまう。
既に経済という化け物は、農村の文化や風習そして人々の営みを食い散らかしてきた。
そして今、地域環境に経済の食指が動いている。
訪日客が憧れる日本は農村の景観や文化、そしてオリジナルの食だ。
農村を守ることはすなわち日本を防衛することであり、国民の命を守ることだ。
いまこそ農村から反転攻勢の狼煙を上げよう。20230531_112502

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