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三遠南信エリアの祭をユネスコ無形文化遺産に

アブダビで開催中のユネスコ(国連教育科学文化機構)文化遺産委員会において、日本政府が提案した14案件中、13件が認定されました。

ところで愛知県東三河地域、静岡県遠州地域、及び我が南信州は、県を越えて「三遠南信連携」を進めていますが、この諏訪湖を源とする天竜川水系にある三遠南信エリアは日本の伝統芸能の集積地で、多様な民俗芸能が全て網羅される地域というのは全国的にも珍しく「世界遺産」に匹敵すると静岡文化芸術大の須田教授は述べています。

これは古くより東西交通の結節点であった地域で、様々な伝統芸能を広めたのは役行者を祖とする権現信仰の修験者であったと言われます。山間の川そばに居住した修験者の祈祷・神事に、住民が芸能という楽しみを加え変じたものが多く、

愛知県東三河地方の「花祭」「御神楽祭り」や飯田市遠山郷の「霜月まつり」「治部冬祭り」「お潔め祭り」、折口信夫(1887-1953)により「田楽」から「雪祭り」と名称変更された「新野雪祭り」、鳳来寺、黒沢、西浦、田峰の田楽群に、盆踊り、念仏踊り、放下舞い、榑木(くれき)踊りなど掛け踊り群、、鹿舞い、獅子舞、農村歌舞伎、人形浄瑠璃など、一夜を神と共に過ごす祭が存続し国道151号は別名「祭り街道」と呼称されるほどです。

さらに火に由来する祭りも多く、これは山伏など修験道の聖地「秋葉神社」の影響であると思われますが、火神「秋葉信仰」と水神「竜神(諏訪)信仰」田神(山神)が渾然一体となっており、厳しく貧しい山村の民の八百万の神への信仰によります、「田楽」や「かけ踊り」は山村の民と融合し神の仮面を付けた「民衆の神遊びの世襲」の「おどり」として生き残ったと考えます。

三遠南信地域の祭は飛び跳ねる踊りと回転系の舞いの双方があります。

三隅治雄氏は祭において神迎えが旋回する動作であり、日本における「まわる」の名詞化が「舞」であると「芸能の谷・日本芸能史のルーツ」の中で述べている。とすれば「YOSAKOIソーラン」は、田楽という日本芸能が伝播しなかった北海道で生まれた新たな田楽かもしれません。

柳田國男や折口信夫に見いだされた深山の里の祭は、三隅らの詳細調査から体系化され、日本の芸能史を明らかとする重要な発見となりました。

これら国無形文化財で世界遺産級と言われる三遠南信地域の「まつり」も、経済バブルの中で「ムラの共同体」意識が希薄となり「人」と「資金」の課題から衰退しつつあり、将来が危ぶまれていることも事実です。

ユネスコ世界無形遺産に認定されれば、存続の危機から光明が見いだせるかもしれません。

皆さん、一緒に三遠南信の民俗芸能の遺産登録に声を上げませんか!

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