島国の日本は得てしてガラパゴスに例えられる。特に産業技術はそう揶揄される。
だが世界標準とは何か?グローバルとは何か?
お分かりのようにアメリカン・スタンダードがその規準だ。米国が中国を敵視するのは、世界標準をチャイナ・スタンダードにしないことなのだ。
美辞麗句で民主主義が大切と言うが、それは米国資本主義による覇権主義であり、経済で台頭してきた中国との覇権争いでしかない。
黎明期のグリーン・ツーリズムはヨーロッパのルーラル(アグリ)ツーリズムをコピーしただけの政策で、農村を都市住民の憩いの場とする農村リゾート政策であった。
私は農業・農村を立て直す国の考えに同調しつつ、しかしそれを鵜呑みにしない飯田流の農村振興を企画した。そして自分流イノベーティブは、その後日本の標準となっていった。
古来より日本人は外部からやってきた技術や文化、宗教を丸ごと取り込んで、そのまま活用するのではなく、一旦日本に馴染むよう日本流に仕立て直してきた。
漢字から平仮名や片仮名を生み出すなどその最たるものだ。
宗教も同様だ。八百万神は自然を畏怖した縄文人から根付いた信仰だが、そこに外来の客神(まろうどしん)がやってきた。その神々を全て受け容れて日本の神と同等にしていったのも日本人のゆえであり世界では考えられないことだ。
老子が説いた「和光同塵」(わこうどうじん)は、日本を考える上で最も適切な言葉だろう。
外から来たものを特別視したり崇めるのではなく同じ「ちり」の1つ。ならば一緒に交えて考えれば良い。これが面々と紡がれてきた日本文化だ。
常に世界の優れたものを吸収しつつ、日本流に仕立ててきた日本人。
この受容力とイノベーション力をもって何がガラパゴスだ。
残念だが近年の日本企業の経営者たちは、せっかくのイノベーションを世界標準にしていく力を持っていないことがガラパゴス化した要因だ。
大手企業の経営者や大物と言われる政治家の劣化が、日本のイノベーションを阻害している