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コロナと方言から思うこと

柳田國男は、「蝸牛考(かぎゅうこう)」の中で、方言周圏論を展開。これを民俗学の基本原理ととらえていた時期(晩年は固執していない)がある。この説は京都から方言を含む文化が各地方に伝播したとするもので、古い京都の文化が地方に残っていることになる。
たしかに一部分では都からの人の流れで新たな言葉や文化は拡散しただろう。
昔の拡散は人が移動しての拡散。だから蝸牛のごとく遅かった。今の新しい言葉や文化はネットであっという間に拡散する。
今や方言周圏論は方言ネット論に置き換わってしまった。
だが中央がネットになっただけで、理論的には現在も活用できるだろう。
初期のコロナウイルスがオミクロン株に変わった様と似ている。
唯一人を介しての拡散が変わらないのはウイルスだけかもしれない。
ウイルスは昔のやり方をずっと踏襲しているのかな。
私もレトロなウイスルと一緒だ。リアルな接触が無いと触発されない。
私も老い先短い。「人は会えるときに会っておけ!」が今の心境である。
全国に会いたい人がいる。コロナ禍さえ無ければ出かけているところだ。
人に会うことで新たな気づきをもらえる。
アイデアなど天から勝手に降ってくるモノでは無い。
閃きや直感は、それまでの経験値や既知の思考、学びに基づくものだ。
旅に出よう。老人はネットと書を捨てて友を目指したい。

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