津軽には何か特別の「磁場」があるのだろうか。
作家の五木寛之は英語のジプシーは、ドイツ語で「ツィゴイナー」フランス語で「ツィガン」であり、「ツィガン」がなまり「ツガル(津軽)」になったと若干、ムリムリ感のある解釈の説を述べたそうだ。ジプシーはユーラシア中央から各地に散ったことは間違いない。
そのジプシーがスペインに到達して、あの独特なジプシー音楽からフラメンコ・ギターが生まれ、ツガルに到達したジプシーから津軽三味線が生まれた。だからフラメンコ・ギターと津軽三味線は兄弟なのだと。
これは非常に面白い説である。やはり専門家の枠に捉えられているとこうした発想は出てこないだろう。
シュメールから製鉄技術を有する民族が、長い旅の果てに西日本で無く津軽に到達し、その末裔だと思われる民族が、三内丸山遺跡にみえる繁栄をしていった。
この頃は世界四大文明が勃興した年代であることを心して欲しい。日本民族は単一民族ではないが、様々なエリアから訪れた民により、派手ではないが日本文明の基礎が東北に作られていたのである。
最初に津軽に到達した外つ国の民族は、次々にやってくる民族と緩やかに混血し、十三湊(十三湖)を中心の大交易時代を築いた安東(安部)一族が勃興した。
私がアドバイザーとして入っている鰺ヶ沢でも「杢沢(もくざわ)遺跡」や「土人長根(どじんながね)遺跡」で、製鉄炉跡が発掘されている。杢沢遺跡は古代の製鉄炉で土人長根遺跡は鎌倉期であるらしく安東一族の製鉄炉だった。
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風の音、波の音、吹雪の音、ねぶたの音、民謡の音、津軽三味線・・・。
津軽じょんがら、津軽おはら、津軽よされ、津軽あいや、津軽三下りの津軽五大民謡、津軽民謡は2000以上ある。これほど多様で多くの音が残る地域はない。
どれも不思議な「ざわめき」を感じる津軽独特の土着したメロディーだ。
太宰治の「富岳百景」は、ロンド形式のリズムで書いている。彼の深層に津軽のリズムが刻み込まれているかのようだ。
「ねぶた(ねぷた)祭」のラッセ・ラの二拍子リズムと飛び跳ねる「ハネト」も国内では特殊である。スイスのチロル地方には、多神を象徴する仮面と仮装で飛び跳ね踊る「ヴァンベラーライテン」という祭がある。仮面は別としてハネトと同じ「飛び跳ねる」行為が重要だ。
そう言えば津軽今別町に伝わる「荒馬(あらま)」祭も男女が元気に飛び跳ねる。江戸時代からの祭とされているが、文献が無いためそれ以上遡れないだけだ。
日本の舞は基本的に能に見るように摺り足と回転であり、飛び跳ねる舞は無い。
元気に踊る阿波踊りだって跳ねたりはしない。
日本人の歩き方は欧米人と違う。まぁ近頃は日本も欧米化の流れで飛び跳ねる歩き方かも知れないが・・・。だから雪道で転ぶのかな?
忍者走りなんて日本人の典型的な走りだろうが、日本人の歩き方は相撲の摺り足は別として基本、摺り足なのだ。天皇家の祀り事に神社の神事だって摺り足である。
これは木の実や山菜を採取し、稲を始め様々な栽培をしてきた農耕民族であることの証拠である。
ところが津軽はトルコやユーラシア、モンゴルの民のように、馬に飛び乗るのが得意な一族と同じような動きが染みついていたのである。
DNAは誠に不思議なものだ。
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津軽のように、これほど多様かつ独特の素晴らしい文化を有する地域は国内に見当たらない。
雪だって七種類もあるじゃないか。
ところが近年、津軽地方は大都市から「言霊」で呪縛された。
この写真を見て欲しい。
「雪」「海峡」「北国」「北の果て」これが津軽だと既定されてしまったのだ。
このイメージを定着させたのが「演歌」と言う「言霊」である。
残念なことにこのイメージのまま自ら言霊の檻に入ってしまったのだ。
そろそろ世間から入れられた「檻」から呪縛を解き放たないと取り返しが付かない未来がやってくるだろう。
「津軽は足の引っ張り合い、南部は手の引っ張り合い」などと揶揄される。私もそうした場面に遭遇したり見聞きする。
もう足の引っ張り合いをしないで、手を引っ張ってあげる関係になって欲しいと切に願う。