「冷暖自知」という禅の言葉がある。
遠回りに見えるが体が覚えたことと頭の知識ではまったく違うと言う意味だ。
例えば現在のIT教育は、どう見てもタブレットの使い方を教えているように感じる。
これでは答えは「タブレットの箱の中」に存在しているだけで、電池が切れたら何もできない人間が育つだけだ。文部科学省は未来の日本の担い手である子ども達を、電源が無ければ起動しないIT器機にしようとしているのか。
世界一と日本が誇るスーパーコンピューター「富嶽」でさえ、電源が無ければ無駄に場所取りをする箱でしかない。
道具の使い方しか教えられなかった人間は、道具がなければ何もできない。まして誰かが「やる気スイッチ」を押さないと動かないようでは永久に「自立」できないし、単なる情報処理のスキルを身に付け、他人と同じ答えに満足する人間ができるだけだろう。
文部科学省は新学習指導要領の中で、ICTを最大限活用し、これまで以上に「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実し、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげるとともに、カリキュラム・マネジメントの取組を一層進めるとしているが、児童生徒の「主体的・対話的で深い学び」ができているのか甚だ疑問である。
さらに新学習指導要領には、「2030年の社会と育成を目指す資質・能力」として、「一人一人の児童(生徒)が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」との記述がされている。
今の子ども達は、知らないことはタブレットで検索すれば良いと教えられる。探求と言われるが、それが何の学びになるのだろう。人として生きる力になるのだろうか?システム的な人間を生産する手立てを講じようとしているしか思えないのだが、これは私の偏った見方だろうか。
基礎基本ができておらず、判断力が育っていない子ども達に魔法の箱を渡したときにどうなるか。
全ての正解は箱の中で、直接大人の言葉など聞かなくなるだろうし信用されなくなるだろう。
もちろん新聞やテレビニュースなど見ることはない。SNSで流される根拠のないフェイクニュースには簡単に信じてしまう。
知らないことを知ったふりをする。経験していないのに経験したつもりになるのは怖いことだ。
「筺」に閉じ込められた子ども達には、拡張プロセスは存在しない。
皆さんに問いたい!「学び」とは何か。
私は“人が人として生きていく”ために様々な経験を積むことだと思っている。
世間や人生は経験でいくらでも領域の拡張できる。アップデートするにも小さな「筺」では限界がある。
大切のことは実体験による拡張プロセスの増設しかない。
単なる知識の丸暗記ではなく、心を成長させる栄養でなければいけない。
豊かでしなやかな心身を育てれば、福祉をはじめ地域の様々な問題を解決する糸口になるだろう。
そして21世紀の最大課題である地球環境を解決できるに違いない。
これはあくまでも私個人の見解だ。
改めて皆さんに問いたい!
「学び」とは何か?
地域に真の学びの土壌を創れるか?