夏から秋に掛けて毎週末、飯田下伊那の神社で疫病退散、五穀豊穣の願いが込められ花火が打ち上げられる。
しかし今年は、コロナ禍の影響で祭りが中止となり、夜空を彩る数万発の花火も悪疫に負けてしまった。全国の花火大会も同様で、その経済損失額が5千億円を超えると日本経済研究所が試算しているが、花火製造業者は零細企業が多く、伝統産業としての継承が危ぶまれる。
そんな状況の中、花火師による「サプライズ花火」や地区の有志が中心となり、疫病退散祈願や地域の元気を取り戻したいと、事前告知をせずに打ち上げている。
花火は見ているだけでワクワクするし、花火師さんの技術の拍手喝采している。しかし元来私は、行政や観光主催のイベント花火に懐疑的だとずっと主張してきた。
だが神社の氏子が主催する祭りで打ち上げる花火は、地区のコミュニティの安寧を願うもので持続することは大切だと感じる。
夏前から比べて新型コロナウイルス感染拡大の落ち着いてきたことで、東京都民のGo toトラベルが10月から解禁となった。だが都民も地方も喜び半分、はっきりとしない先行きに不安を抱いている。
コロナワクチンは、インフルエンザのように定期的にワクチン接種しなければならないことも考えられるため、ワクチンさえできれば流行が収束に向かうわけでもなさそうだ。
安全なコロナワクチンが完成するまでは、あるいはずっと「新たな生活様式」を続けなければならない。それは年内でなく、少なくとも3年くらいのスパンは必要だろう。
このWithコロナ時代に寄り合いもイベントもできない地域コミュニティは、どうすればいいのだろうか。
私は今年地区の自治会長をしているが、地区の大きなイベントである祭りも中止、会議も無しとコミュニティ活動の基本が封じられている。
昨今流行のオンラインは地域コミュニティの再起動の解決策にはならないだろう。
集まってリアルで話さないと、互いの想いや考え方が理解しにくい。その場の空気が読めないと共感しづらい。
企業とか友人、趣味のコミュニティはオンラインに向いているかも知れないが、井戸端会議などと揶揄されるベタベタの情報交換が地縁集団には大切な会話なのである。
距離感が遠く感じるオンラインはいずれ進化していくだろうが、オンラインが田舎のコミュニケーションに役立つのは、まだまだ未来のことだろう。
簡単に言うとオンラインはサプリメントでリアルは食事そのものと言える。コロナ鬱とか認知症を発症したという現象も出ている。人と会えない、話せないことで心的外傷を負ってしまったのだろう。
地区の高齢者にとっても、心理的安心感を与える食事(関係性)が「心の栄養剤」となるわけだ。
そのために地域コミュニティでは、都市の方々や若者から不評の濃い「つながり」が重要となる。
スマホを持たない高齢者やネット環境のない世帯も多いため、今は会話にストレスがかからないコロナ禍以前のFace to Faceが良い。
オンオフがはっきりしていて会議以外の話題や雑談が少ないオンラインは、どうしてもコミュニティ内で様々な取りこぼしがでてしまうからだ。
これからは地縁コミュニティだけでなく、関係人口の基となるテーマコミュニティやセミハビタント(半定住者)、ワーケーション利用者など、多様な関係者にも協力してもらい、アフター・コロナにおける地域コミュニティの羅針盤をつくらないといけない。
この仕組みを実施するには、多様なコミュニティにアプローチできるスキルが必要だ。
さらに既存システムの再構築をするために、時には因習を破壊する荒技もしなければならない。
人との「社会的つながり距離」が広がったことで、様々な障害が発生している。
三密を回避するソーシャルディスタンスが新しい生活様式の基本だが、田舎は人が少ないから三密の環境はわざと作らない限りあり得ない。
逆にそれこそが、新型コロナはもたらした可能性であり田舎のチャンスだ。
ただ人口減を嘆くのでは無く、人の営みにちょうど良い「適疎」を目標に設定すれば、今までの考え方や取り組み方法が変わるはずだ。