訪日客に人気の茶道は、日本独自の文化の心が根付いている。「お茶」をたしなむ方には常識だが、一期一会の言葉で表すように主人が、その時その場において、いかにお客様に対して最高のもてなしをするかにある。茶席の正客は迎える主人が選ぶ。そして招待客は、部屋のしつらえや食事のタイミングまで良し悪しを評価する。だから主人は分かる人のみで良いとしており、外国のブック評価の星などは、まったく日本的で無いと言える。
日本人でもなかなか歩けなかった祇園も、訪日観光客で観光暴風が吹き荒れた。
本来、一見さんお断りの祇園は、限定客を一期一会の気持ちで迎え、洗練された場の空気を楽しむ日本独自の文化だ。
地域における旅も不特定多数のマーケットを狙うのではなく、自分の得意技(地域資源)で精一杯のおもてなしをするほうが双方の満足を得られる。
そう考えれば、そこに数の論理はない。必要なのは、もう一度、訪れたいとの気持ちを抱かせることなのだ。
茶の心得の基本は、主人と客が互いに心穏やかに謹み敬い、茶会の雰囲気を清浄にする「和敬清寂」と千利休は言った。
弟子に「茶の湯とはどのようなものですか」と質問されたときに答えたとされる「利休七則」をあわせた「四規七則」である。
おもてなしを凝縮した「四規七則」は、主人がその時その場において、「お客様」に対していかに最高のもてなしをするか、締めくくりに「相客に心せよ」とある。
「相客」は「正客」に同席した人たちで、正客席も末客席も、互いを尊重しあい楽しいひとときを過ごせるようにする。知らない人にとって茶道は、堅苦しい作法のかたまりのように感じ敬遠しがちかと思うが、相手と心を通じ合い、コミュニケーションを深化させることや社会の中で人として生きていくため考え方、さらに自然との共生を学ぶ機会となるのである。
仏教にも「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがある。普通お布施といえば金品をお寺に納める「財施」だが、『雑宝蔵経』という経典に「七種施の因縁」として次のように説かれている。「仏説きたまふに、七種施あり、財物を損せずして大果報を得ん」とあり、誰にでもできる布施とされている。
これもまさに他人を思いやる精神であり「おもてなし」と相通ずるものである。
笑顔のお出迎えはPRICELESS、従事者にお金を掛ければ自然と「おもてなし」は向上するのだ。
■無財の七施
・眼施(げんせ) 眼による施し。優しいまなざしで接すること。
・和顔施(わがんせ) 穏やかな温かい表情で接すること。
・言辞施(ごんじせ) 愛のある言葉、思いやりのある言葉を与えること。
・捨身施(しゃしんせ)損得を抜きにして、自分の身体を使って奉仕すること。
・心施(しんせ) 思いやりの心を持つこと、真心を込めて行うこと。
・床座施(しょうざせ)座席を譲ること。
・房舎施(ぼうしゃせ)自宅に人を迎え、雨露をしのぐ場を提供すること。
■気配りでなく気働き
農泊を現代の「房舎施」と考えてみたらどうだろう。これこそが観光における「究極のおもてなし」になるのではないだろうか。
旅人に対していかに喜んでもらうために心を尽くすかという、お茶や仏教などから考えると日本流の「おもてなし」は、単なる「気配り」ではなく、行動が顕れる「気働き」だろう。
その気働きの例に、秀吉に対した明智光秀の有名な逸話「三献茶」がある。
これは江戸時代の創作とされ信憑性は薄いが、鷹狩りの帰りに秀吉が喉の渇きを覚え、途中の寺に立ち寄り寺の小姓に茶を所望する。その小姓(後の三成)は、一杯目に大きなお椀でぬるめのお茶をたくさん入れて出すと、喉が渇いていた秀吉は一気に飲み、おかわりを所望する。すると今度は、少し小さめのお椀にやや熱めのお茶を入れて出した。それを飲み干した秀吉が三度目のおかわりを所望すると、小さなお椀に熱々のお茶を少しだけ入れて持っていった。この小姓の意図に秀吉が気づき、心意気を感じ小姓を召し抱えたと言う話だ。
もてなしとは「もって(その人と)為す」が語源と言われる。
受入者と客が一つの空間で、もっとも贅沢な時間を消費するなかで、客のアイデンティティを満たすことである。
宿泊施設の美味しい地元料理や親切なフロントの対応、居心地の良い部屋は料金内のサービスの一環だ。私が高評価する宿は、温かで心を解きほぐすような朝食や、笑顔で送り出してくれる掃除のパートさんだ。
客は支払う金額によって、そのサービスを想定している。それを超越したサプライズやこうだと良いなという潜在ニーズを先取りされたら感動するものである。
私が現場で遭遇した次の事例は皆さんも経験したことがあるのではないだろうか。
【事例1】観光みやげの名物商品の名前の由来を聞いたところ、接客した女性は、うるさそうに「中の紙に書いてます」と言ったきり。ところが店内の客は私だけで忙しそうには見えない。
【事例2】謂われを聞いたが応えてくれず、自分の持つ知識だけを客に披露する案内人。たいがいが無料の市民ボランティア。これって腹が立ちませんか。そのまま地域がネガティブに包まれて「あそこはダメだよ」と悪評が拡がってしまう。逆に次のような対応をされたことがある。
【事例3】食事後に薬を取り出すと、店員がすかさず水差しを持ちテーブルに来た。トイレから出ると新しいお手ふきを持ってきた。飲食店で珈琲を注文し、電話でちょっと席を外した。帰ると既にテーブルに珈琲が置かれていたが、店員がやってきて温かいものと交換しますと言われた。
どうだろう。ほんの些細な客への気働きで、この店は良いなあ、また寄ろうとなるものだ。
常に気配りをしていても、そこからどう行動するかの「気働き」が大切だということが分かる。
お客様のデータ蓄積と分析はAIが得意で、客のちょっとした仕草を瞬時に判断する技術まで開発されている。
しかしまだ現場で、客の隠れた要望に耳を傾け、常に気を配り動けるのは従業員の注意力しかない。かゆいところに手が届くではなく、かゆくなる前にかいてあげられる気働きができれば、サービスを超えた次のステップの「おもてなし」に間違いなく上がったとみて良い。
北海道松前の温泉旅館矢野・杉本女将
青森県大間のあおぞら組